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このページは、会員1249が2009年12月17日 06:56に書いたブログ記事です。

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三郎さんの昔話・・・三倉神社と投げ子

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三倉神社と投げ子

 小さい子供の頃、病身で弱い子供や、大病して危篤状態になり、「もうこの子は助かりそうにない、こりゃ困った、お医者さんの薬がききますように」と、お薬師様にも祈願して色々と手を尽くすがようならん。

 めりきっちょったら近所の年寄りが、「あのえい子を殺すのは惜しい、お三倉様のなげ子にしたらよう助かるが、拾うてもろうたら」ということで、
 
早速代参で汗見の三倉神社へ赴き、神官さんに子供の病気容体を話し、「このままでは危ないが、なげ子にしますが拾い上げてお助け下さいますようお願いします」と頼むと、引き受けて下さり、
 
神衣に着替えた神官さん、本殿の正面に正座してのりとを上げ、病児の年や性別、名前を告げて祈願し、終わると神官さん、「これでこの子は三倉大神が拾い上げ、三倉の三の名字を与え、我が氏子としてお救い下さる」と、
 
祈願のお札を病児の天井に張れと。戴いた三の字の呼び名をつけて生涯呼ぶ。年一度の大祭には必ず参拝して、年貢を納めることを約して帰る。

 戴いた名字で三郎と名付けて呼ぶ。病気は日増しに良くなり平癒した。

 「あのおんちゃんは、倉さん、倉次言いよるけんど、本名は違うんじゃとねえ」「そうよ、みっちゃんも本名は種子よ、名前が二つあって三や倉の呼び名で通っちゅう人はみんなあ、お三倉様のなげ子ぜよ」と言うほど、
 
当時弱い子供等を助けて救う、慈悲深い女神のような三倉神社(お三倉様)には、投げ捨てた子(もう駄目じゃと思って)を拾い上げて助けられた氏子連が、近郷近在に大勢いた。

 さて嶺北の吉野川筋で三大縁日とは、旧四月八日の豊永の柴折薬師(豊楽寺)と、旧十一月五日の本山町慰霊祭(雁山)に続いて七日のお三倉様(三倉神社大祭)でありまして、
 
これらの縁日には、やしの見世物や物売りも方々から来てもの珍しく、参拝者もどっと押し掛けて大賑わい。当時みんなの楽しみであった。

 お三倉様の大祭には珍しく寒相撲もあった。当日は毎年初寒がきて、北風にみぞれがそうて吐息はぼうと湯気に見える寒さにもめげず、吉野川筋の道路はぞろぞろとお三倉様へ、参拝や見楽の人々が切れ目なく続いた。

 ◎なげ子の年貢は白米一升に一円(当時米一升三十三銭)の献金を七年続け、その後は  自由意志でお供物と参拝をすることになっていた。

  大祭に氏子になったなげ子は、社殿で神官がのりとを上げお祓いをしてくれた。
 三倉神社=本山町汗見。元、吉野村。

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