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2010年1月 7日アーカイブ

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。車に4人が乗車し、高知市内を8時30分頃出発しました。

車中で話に花が咲いているうちに、一時間ちょっとで奈半利町の米ケ岡自然体験学校に到着でした。

米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

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米ヶ岡生活体験学校 に関する記事

米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。

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奈半利町:野根山街道

野根山街道は奈半利町から東洋町野根までの約40kmを尾根づたいにつなぐ山道です。
未開の奈半利に文化の光を灯したのは、野根山街道の開発があげられます。この街道は、国司、流人の移動、調庸物搬出の道として開発され、約千二百七十年前の昔にはすでに利用されていました。幕末の激動には、中岡慎太郎をはじめ志士達の脱藩の道、二十三士動乱の道でもありました。
長い歴史の中で、この街道にまつわる事象は数多く生まれていますが、それぞれの時代に歴史の要路として、重要な役割を果たしてきた街道です。街道には旅人の道標となる塚が高札場(横町)を起点に、一里塚まで残されており、藩主の休み場として、朝休みから茶屋の段まで五ヶ所あります。
岩佐関所跡には、番士の屋敷跡や墓所などもあり街道には多くの史跡や多くの民話も残っています。歴史と伝説に富んだ街道で、今もなお、当時の面影をそのままとどめた全国的にも珍しい歴史の街道です。  
現在は四国の道としてハイカー達の道として復活し、シーズンにはにぎわいをみせています。

 

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米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

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奈半利自然保護研究会:野根山街道 

野根山街道は、奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る延長35km余りです。

 養老2年(718年)以後の官道です。官人達の往来の道であり、調庸物搬出の道であり、もちろん庶民の生活道でもありました。

 街道の両側に、当時そのままの姿で残された一里塚~五里塚や、旅人が一夜をしのいだという宿屋杉、参勤交代の昔をしのぶ朝休み場お茶屋場装束峠の敷石、岩佐関所跡屋敷跡の石垣や墓地等、数々の史跡が残されています。

 また、土御門上皇が名付けられたという岩佐の清水旧藩林天然林等、自然に富んだ街道です。

 なお、幕末には中岡慎太郎が脱藩の道とし、清岡道之助以下二十三士が獄中の武市瑞山を救おうと武装屯着したのもこの野根山でした。

 近年、自然遊歩道として人々に親しまれ、また、平成8年11月1日には文化庁の「歴史の道百選」に選ばれました。

 昔ながらの風情が楽しめるこの神秘な街道を一度散策してみませんか。

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奈半利自然保護研究会:白石神社(しらいしじんじゃ)

およそ300年前、北川村野友の庄屋白石伝左衛門が土地の百姓の二、三男対策として、水田開墾を志し願い出たが、許されず仕方なく無許可のまま山を焼き開墾を始めたため、取り調べを受けるはめとなった。しかし、彼の誠意に藩庁も動き、後年、年貢を納めることを条件として許可が下り、現在の米が岡の水田が開かれたと伝えられている。参勤交代の要路として栄えた米が岡の人達は、宝永5年(1628年)に死亡した彼を米が岡開拓の恩人として白石神社に祭っている。 

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HN:サカチャン 

野根山街道・・・白石神社の登山口                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事

私設郷土資料館、古渓城と土佐藩窪川家老職・林家を伝える林一将さん2

昨年の11月15日、四万十町仕出原の高岡神社の秋祭りの見学に行った時、地元の歴史研究家・林一将さんにお会いして、「流鏑馬(やぶさめ)」などの話を聞かせてもらっていました。

高岡神社(五社さん)の秋祭りに行きました・・・その4

そのとき、私設郷土資料館をお持ちで、定期的に地元有志と歴史研究の勉強会をしている話を聞いており、昨年暮れに窪川へ行った時に訪問させていただきました。

土佐藩窪川家老職・林家を伝える林一将さんが、私費で造られたと言う郷土資料館「古渓城」の展示物の貴重な資料のすばらしさとその思いにビックリしました。

事前に連絡をすれば、郷土資料館「古渓城」は見せていただけるとのことでした。

私は機会を見て、もう一度お伺いして見せていただきたいと思っています。

連絡は、林一将(かつまさ)さん 四万十町見付665 電話0880-22-1654 携帯090-3184-0928

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         ほとんどの品物に山内家の家紋が入っています。貴重な資料が満載です。

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事前に連絡をすれば、郷土資料館「古渓城」は見せていただけるとのことでした。

連絡は、林一将(かつまさ)さん 四万十町見付665 電話0880-22-1654 携帯090-3184-0928 

歴史研究の勉強会「窪川の歴史を探る会」は、四万十町立図書館で第3土曜日の13:30~16:00開催されているそうです。

高知からも毎月来られている方もおられるとか・・・過去の勉強会の資料をいただきました。

林さんが、毎回素晴らしい資料を作成されているようです。

 

HN:でべそ

郷土資料館、古渓城と土佐藩窪川家老職・林家を伝える林一将さんに関する記事 

HN:でべそ さんの記事

霊が舞う

 昔から、夏が来て暑い夜の夕涼みには、怖い色々な話を聞かされたり、怪談ものの芝居や映画を見てぞうっとすると汗がひっ込んで涼しくなる妙を得ている。

 最近はテレビで不思議な霊感や心霊術、超能力的な映像を多く放映するので、つい見せられて、霊への関心が高まっている。

 半世紀前(戦前)の国内は現在のように開けてなくて、行者や神官や易の占い師が多く点在していた。

 病気に罹って回復しないので見てもらうと、家の方角が悪いとか、誰それの霊がくっついて災いしているとか、病人に犬神やトンベ(蛇)の魔性が取り付いたとかで、これらの霊付きや魔性を取り払うには科学的な医術では手に負えず、心霊術の太夫さんに祈祷や祈りでお払いをしてもらって回復を願っていた。

 当時は、霊や魔性が目に見えずして飛び舞い、怖くて不思議で、またおかしなことでもあった。

 今から三十四、五年も前のこと。専売のたばこを指定店に卸売に行くため、三輪自動車に同僚と二人、運転と販売方で同乗して吉野川の北岸を川口から立川沿いの曲がりくねった三里余りの山道を登った。

 仕事を終えて立川からやっと川口に出、北岸道を吉野川沿いを上へ、焼山谷を回って見渡しの良い道路の道端に、真新しい花筒にしきびや花を差し、供え物をして祭ってあった。

 それを見た運転手の同僚が、「この間の晩に、こんなえいくで四十過ぎの若い男が自転車でこけて死んだがじゃと。惨いことよのうし」と言った。
 
それを聞いて「若いけ女房も子もあろうに、不運で惨いことねや」と二人が口を合わして同乗し、葛原橋を南岸へ渡り県道に出、高須の方へ少し登りの坂道。

 悪い山道から良い道に出たので、運転手も気が楽になって、車も馬力が出て早くなった。百メートル余りの直線を走る車が左に寄り道端の青草をなでた。

 あっ危ない、と思ったとたんに、車は道から外へ飛んだ。傾斜の荒い石垣に回転してヅンと当たって二回転してドンと当たった。助手台で小さい手技にかきついていたが、振り放されて体が石垣にぶちつけられた。

 たばこの木箱も荷台から離れてガラガラと落ちる。十メートル余の崖下へ車は三回転して、荒れ畑へドスンとまともに落ち、それへ私と箱が重なり合った。

 左肋(骨)が痛んで息が苦しい。運転の同僚はどうかと見たら、棒ハンドルを突っ張って握り、腰掛けまたいで足つんばって乗車のまま。

 同僚は私を見て「兄貴どうぜよ、事ないかよ」「おらぁ振り落とされた時、何かで肋を突いて痛い、息がしにくい」「そりゃいかん」と、私を抱えてやっと道路に出て通る人に助けを求めて、私はタクシーで病院へ。運転の同僚は怪我なくて、連絡や後始末に追われた。

 私の怪我は、心臓のすぐ脇を、神経痛のためしていたコルセットの真鉄がまがるほど突いて、肋骨が折れていた。何に突き当たったか後で調べたら、傾斜の石垣に生えていた梶を鎌で切って剣のようになっていたものがコルセットの真鉄に当たったもので、コルセットをしていなかったら心臓ぶっすりでした。

 この事故は、道も広く直線で安全な通りであるのに、なぜこんなことになったのか腑に落ちん。それで、現場の検地や車の調子、運転手の体調や精神状態など色々と調べているうちに、ある老人の話から、それは不思議で怖い幻想が、事実となって事故を招いたとわかった。

 思いがけない災難や事故で、突然死んだ人の霊は素直に成仏できず、悪霊となってさ迷い友を呼ぶという。その迷える霊に同情したりすると付け込まれて誘引されるという。怖いこと誘い殺されよった。

 三輪車の事故現場から、「惨いこと」と同情した死者の場所との間は、道路が曲がりくねって大きく迂回して吉野川を渡り、南北直線(四キロ余)に見通した所に来た時、運転手は眠ってないのに目が霞み、ハッと思うた時には車は空へ飛んでいた。

 運転上手で確かな同僚は今でも、「あの時はほんとに不思議じゃ、死霊に取り付かれたがじゃ」とこぼしている。

 最近は路上で交通事故死者が多くて、道端に花束の供養を見掛けるが、「惨いこと」なんて同情は禁物かも。

 知らぬが仏、さわらぬ神に祟りなし。
 蛇もハミもよっちょれよ、はいとう様のお通りじゃ。
 

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