のがま(野鎌)
三月の秦史談会で78号に投稿されている神里さんの「かまいたち」が話題になりましたが、帰宅後落ち着いて読み返してみて、言葉は違うが昔、草原で転んだ拍子に鎌でシャーと切られて大傷を負ったという話を思い出して、家内に「野鎌で切られたことを知らんか」と聞いたら、次のように話してくれた。
私が子供の頃、母親が私と妹二人に従姉妹の愛ちゃんを連れて、吉野川辺と上田の間の桑畑に春蚕(はるご、養蚕五月頃)の桑摘みに行って、私は母の桑摘みの手伝い、妹のすみか、玉絵に愛子ちゃんの三人は母が、「そこの田の岸に野苺(地苺とも言い赤い実が甘い)があるけ、ばらにささらんように気をつけて取りや」と言うと三人は土手の草原ではしゃぎながら夢中で苺取りに耽っていた。
その時玉絵が足すべらせて軽くかやった(倒れた)。すみかが「早よう起きや」言うと玉絵は立ち上がりながら両手で頭を押さえている。
二人が駆け寄って「打ったかよ」と聞いたが「打ちゃーせんが頭を何かシャーッと掻いた」と言いながら頭から手を放さんので、「どら見せて」と見てびっくり、頭が大きく裂けちゅう。
見た二人が大声で叫んだ。「玉ちゃんの頭が割れたけ、早よう来てー」と。母と私は一緒に駆けつけて見てびっくり。玉絵の頭三分の一ほど三日月形に切り裂かれている。切れ口は白い身をはみ出しているがまだ血が出ていない。母が「のがまに切られた、おおごとじゃ」と言いながら玉絵を背負うて走る。私らも後を追って走った。
家に帰り着いたら、ちょうど父親が用があって帰っていて、「こりゃたまるか、切れ裂けちゅう、早よう」と玉絵をおんぶ(背負う)して自転車を飛ばして三キロほどある田井の病院に駆けつけ、外科医さんに幾針も縫うてもらい切り傷を塞いだ。傷を縫いだしてから血がにじみだしたと。その後十日ほど通院して切り傷は癒えた。
その夜、母が叫んだ「のがま」のことが合点がいかず、父母に「のがまってなんなの」と尋ねたら、父が、「山や草原で切れ物をなにも持ってないのに、歩いていて足がシャーと切れたり、転んだとき石もなにもない、打ちもしないのに切り裂かれている。
こんなことが昔からあって、これを『のがま』に切られたと言う。それに百姓の一番大切な道具は鎌、鍬で、神様が宿っておるけ大切にせにゃいかんが、つい鎌を忘れて帰ってしもうたりしたら、腐って消えてなくなるが、それが野加魔に変じて人に災いする。
大人は山や田畑へ行くときに柄鎌か鎌をいつでも持って行くが、切れ物は仕事道具と魔除けを兼ねちゅう。それにしても、のがまとは不思議な怖いことよねや」と話してくれた。
私は「そんなら切れ物持っちょらん子供だけが切られるの」と聞くと、「いいや、大人でも切られたことがある」と言ってから、「子供には魔除けの呪いがあるぞ、草原を棒切れでさばきもって『はいとう様のお通りじゃ、蛇もハメもよっちょれよ』と言いよったら、呪いがきいて悪魔は逃げてしまう」と。
私と妹らも、父親の話を熱心に聞いた。
史談会の少し前日に、妹の玉絵が用があって田舎から出てきて泊まって、姉妹が久しぶりに話がはずんでいて、白髪の話になって髪の染め方がどうのこうのと言っていて、家内が玉絵の髪の毛を分けて見ていて、「ありゃー」とびっくりした声のあと、「あんたがこまい(小さい)時にのがまに切られて縫うたあとが残っちゅうねえ」と話し合って、ひょっこり(偶然)六十余年も昔の不思議な出来事を思い出したと話してくれた。のがまに切られても不思議なことに暫くは血が出ないとも。
「はいとう様」とは斉藤別当実盛とのこととかで、田畑の神様。田植えがすむと田の畦に酒肴を供え、災害や虫に食われず豊作でありますようにと、おさばい様を祭った。虫除け行事に「はいとう様のお通りじゃ、稲の虫はよっちょれよ」と竹笹かついで大声で叫びながら、田んぼ路を行列が回っていた。
斉藤様が何時の間にかなまって、はいとう様になったのであろうかと思われる
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