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このページは、会員No.1003が2009年7月13日 06:48に書いたブログ記事です。

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二十三士副首領 清岡治之助の碑

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二十三士副首領 清岡治之助の碑 やすだまっぷ より

 土佐の勤王党の武市瑞山を獄中から救い出し藩論の転化を図ろうと結集した二十三人の志士たちの副首領。

 

出典: 清岡治之助先生碑

安田川沿いに野根山事件の副首領格、清岡治之助の住居跡がある。治之助は、事件の首班である清岡道之助の従兄。儒学、剣術、柔術に優れた人物と伝えられる。やはり当地の庄屋の家に生まれ、文久二年(1862)藩主山内豊範に随行して上京すると、応接役の武市瑞山を助けて公家や諸国の志士と交わるようになった。

 野根山事件に当たって家を出るとき、事前にことの成り難きを察した清岡治之助は、 かねてなき我とは知らずたらちねの 祝う門出は野辺の送りかと詠じた。これとは別に辞世の句。

 身は国に心は阿波にとどまりて 霊の真柱たわむべきかわ 奈半利河原で処刑されたとき、三十九歳であった。

 

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kiyooka1.jpg            出典:清岡治之助邸

 

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出典:清岡治之助邸 

 

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